学校の沿革
昭和36年赤穂高校「農業科」を「工業科」に転科し、機械科・電気科・工業化学科を設置し、昭和39年3月11日に独立して、現在の校名になる。昭和60年に「工業化学科」を「情報技術科」に転科して、現在に至る。東に南アルプスと西に中央アルプスの間に天竜川が流れており、山紫水明の地にあり、学校の敷地は96000?を有する自然の中に校舎が立ち並んでいる。
本校の教育方針は、ものづくりを通した人づくりを通して、手と足に知恵をつける教育をしている。最近は、就職と進学が半々になりつつありますが、卒業生の数は五千を超え、その8割は地元企業で活躍している。
|