長野県諏訪清陵高等学校
〒392-8548 長野県諏訪市清水1-10-1
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学校の沿革
 本校は、郷土に有為な人材をの願いから、郷土有識者の努力によって明治20年の上諏訪英語会の開設に端を発し、同22年の諏訪郡育英会の創立を経て明治38年諏訪実科中学校として創設された。明治30年には現地清水ヶ丘の新校舎に移転され、翌年には後に永く本校の自治の伝統の中核をなす学友会が創立され、その発足式当日、第1回の談論会が行われた。談論会は、各時代の青年の夢とともに変遷し100年を経た現在も続いている。明治33年に諏訪郡立中学校となり、翌年県立に移管、長野県立諏訪中学校と改称された。この年従来あった演説討論部・野球部・撃剣部に新たに端艇部が加わった。明治40年から創立記念日運動会が発し、大正2年からは諏訪湖横断遠泳、同4年からは諏訪湖一周駈歩(現在の湖周マラソン)が始まった。昭和11年には三沢勝衛教諭の影響により科学会が設立され、物理、化学、鉱物・地質、動物、植 物、数学、天文、気象の8部を設け毎秋研究発表会が開催された。昭和4年には科学会誌が創刊されて次々と刊行され、全校生徒の半数以上が科学会に属して受験勉強とは異質な自主的研究や調査に青春の血を燃やし、学究の志を養った。やがて、戦時の動揺期を経て昭和23年諏訪清陵高等学校となり、昭和25年には14名の女子生徒も入学した。戦後の新理念による教育も隆盛し、昭和32年には原水爆問題研究委員会が設立され(昭和50年廃止)原水爆禁止校内大会が開かれ、昭和35年には安保反対市中行進が全生徒全職員によって行われた。他方、昭和27年から34年にかけて第2代校舎が完成し、更に昭和64年には第3代の校舎が落成した。そして、平成7年には創立百周年記念式典が催された。