学校の沿革
農村の中堅となって、この地方を守り発展させるような人材が欲しい、という地域の要望をになって、明治42(1909)年、「組合立埴科農蚕学校」として設立され、この間、男子部・女子部を併設した農蚕学校から、屋代高等女学校となり終戦を迎えました。新学制発足により、普通科・被服科を併設した県立の屋代南高等学校として再出発しましたが、普通科男女共学が実現したのは昭和52(1977)年のことです。
本校は創立以来、「自発」「誠実」を校訓とし、地域に役立つ人材の育成を基本とする教育を心がけてきました。 |